尚賢(しょうけん)とは

 古代中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)において、「兼愛(けんあい)…兼(ひろく)愛する。自他の別なく全ての人を平等に、公平に隔たりなく愛すべきである」や 「非攻(ひこう)…非戦論、平和主義」を説いた墨家(ぼくか)思想の書『墨子(ぼくし)』の中に『尚賢』の篇(へん)があります。

『尚賢』は、賢(けん)を尚ぶ(とうとぶ)と読め、 不平等と社会的差別に対して平等無差別を主張し、賢人の生き方は、『力あるものは人を助けることによって、財力のある人は人に分かつことによって、学問を身につけた者はひとを教えることによって、それぞれ社会に貢献するだろう。』と説いています。

これは、当園の導くべき子どもの姿(目標)を表しています。


尚賢(しょうけん)と 教育・保育

 我が国の保育制度は、子どもたちの貧困救済からスタートしています。当園も戦中戦後を通じて季節保育園という形で始められました。

昭和28年に九州北部を襲った大水害(28水)の際、嘉瀬川堤防(鍋島町側)が決壊し、鍋島町内の広範囲が甚大な被害を受けました。
その復旧作業に従事する作業員(主に地元住民)の強い求めに応じ、認可保育所としての幕を挙げることとなりました。
おそらく裕福ではない家庭がほとんどではなかったでしょうか。
そんな中、どんな家庭環境の子どもでも等しく育ってほしいという願いが『尚賢』という名前に込められているのです。

いうまでもなく、保育所は児童福祉施設です。では、児童福祉とは何か。福祉の英訳は『well being』であり、意訳すると『よりよく生きる』となります。
児童がよりよく生きる、安心して、そして幸せに育つ環境を用意する。それが保育所の第一義だと思います。
そしてすべてのことはこの一点に集約されるのではないでしょうか。

親が幸せになることが、児童の幸せにつながっていくから子育て支援を行う。
児童により良い環境を用意するためには、そこに携わる人間(保育者:保育にかかわる全ての人)が、よりよく生きていくことが求められると考えます。

 また、『尚賢』の思想は、児童憲章の『児童は人として尊重される』にも結び付きます。どの子どもにも多様な可能性があり、一人ひとりに向き合い、認めていく教育・保育を目指す、保育者の子どもに対する姿勢を表しているのです。


運営方針

 本園は、心と身体が大きく成長する乳幼児期に、「生きる力」を育むことが人としての土台となると考え、子どもがよりよく生きる、安心して、そして幸せに育つことができる環境用意することを第一義とする。

 また、そのためには、そこに携わる人間(保育者、保護者も含む)がよりよく生きていくことが求められるとの考えに基づき『子どもも幸せ、保護者も幸せ、職員も幸せ』になることを目指す。


教育・保育方針

・子どもの多様な可能性を大切にし、一人一人に向き合い認めていく教育・保育、子どもが主体的に活動する教育・保育を目指す。

・子どもと保護者のおかれた状況や意向を受けとめ、保護者とより良い協力関係を築きながら子どもの育ちや子育てを支える。

・地域の人々や他の関係機関とともに子育てを支援し、そのネットワークにより、地域で子どもを育てる環境づくりに努める。



保育園の紹介

名称:尚賢保育園(しょうけん ほいくえん)

施設種別(詳細種別):認定こども園(保育所型)

所在地:〒849-0931 佐賀県佐賀市鍋島町大字蛎久312-3

電話番号:0952-30-6664

F A X:0952-30-6722

設置主体:社会福祉法人 尚賢保育園

園長:中臣 健(なかとみ つよし)

定員:105名

敷地面積:1983.00㎡床面積1階 624.56㎡ 2階 110.00㎡

開所時間:午前7時30分~午後6時30分

延長保育:午後6時30分~午後7時00分

休園日:日曜、祝祭日、年末年始(12/29~1/3)

特別保育:一時的保育、延長保育、預かり保育


職員体制(産休・育休職員を含む)


                   令和6年4月1日現在(単位:人)

職種人員職種人員
園長1短時間勤務保育士6
副園長事務職員1
主任(主幹)保育士1栄養士2
副主任保育士(うち1名、主幹)2調理員2
正規保育士9短時間勤務調理員0
臨時保育士3雇用員1
看護師1嘱託医2
                                          計31

産休・育休取得実績                  令和6年4月1日現在(単位:人)

年度R5R4R3R2R1h30
人数001011

・職員の平均勤続年数:約17年8ヶ月(令和4年4月1日現在、非常勤職員を除く)


保育園の沿革

昭和28年

 3月5日栖龍院住職中臣道隆の自主的福祉事業として創立。栖龍院の本堂を保育室に境内を園庭代わりとして保育を実施。 
同年6月の大風水害で嘉瀬川堤防決壊があり、付近田畝埋没の被害復旧作業のため「常時保育所」開設の必要に迫られ、寺院本堂を保育園園舎に改装し、同年11月1日付けで定員75名の個人立保育所として認可を受ける。初代園長に中臣道隆が就任。

昭和32年

 7月、佐賀高等学校南校舎(旧佐賀市立成美女学校校舎)の一棟を買い受け、木造瓦葺平屋建ての園舎を建設。
 翌昭和33年2月に完成。

昭和38年

 4月1日、中臣一興が2代目園長に就任。

昭和55年

 卒園児数1,000名を数える。

昭和58年

 創立30周年事業を行う。

平成13年

 佐賀市の中で最後の個人立認可保育所としての幕を閉じ、社会福祉法人尚賢保育園を設立。(8月27日)

平成14年

 7月、創立50周年記念事業として新園舎の建設を開始する。

平成15年

 2月28日、新園舎完成する。3月12日より旧園舎の解体を開始し同月30日に解体完了。4月より定員90名になる。
 5月31日、園舎落成式並びに創立50周年記念式を挙行する。

平成20年

 卒園児数1,500名を数える。

平成24年

 8月1日、現園長中臣健が3代目園長に就任。

令和6年

 4月1日、保育所型認定こども園へ移行。

現在に至る。

情報公開

  • →法人の業務及び財務等に関する情報

令和5年度事業報告
令和6年度事業計画
令和6年5月10日監事監査報告書
・令和7年度入園・進級のしおり

財務等に関する情報、現況報告書、定款等はWAMNET(社会福祉法人の財務諸表等電子開示システム)で公開されています。

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